2018年10月28日日曜日

2018年10月21日 自主稽古

2018年10月21日(日)忙殺される日常のみならず諸々些事を我が剣で斬り開いてくれよう!などと妄想しつつ、今週も今週とて定例稽古を出来なかった悔しさを市内某スポーツセンターでの自主稽古にて晴らします。

今週は残念ながら弟弟子F氏がどうしても外せないお仕事で不参加との事で、弟弟子S氏と二人での稽古となりました。

ふと、弟弟子S氏に「前回のテーマをおぼえとる?」と聞いてみたところ「えーと、○○先でしたっけ?」との事で残念無念の至極にございます…。
前回はテーマ無しじゃったし、○○先は前々々回のテーマなんじゃけど」と伝えたところS氏曰く「○○先は弟弟子F氏に説明をとのことで説明をしたのでよく覚えていましたが…

与えられるだけの雛鳥は、自らの意思と翼を以って外に飛び出して行かねば天高く舞い上がる事は出来ないのです!と仰々しい前置きは兎も角、人間はインプットだけではなくアウトプットこそが要なのだと改めて思い知らされるのでありました。
そう、小難しいだとか冗長だとか言われようともこのブログでのアウトプットは他ならぬ自身の飛躍の一翼でもあったのです。弟弟子達も早くこの辺りを感じる様になってくれれば嬉しいのですが…。

おっと、愚痴愚痴言っているうちに忘れてしまうところでしたが「端の力を使う」が今回のテーマです。
これは兵法タイ捨流の教えの中に直接的な表現はありませんが、ここ最近の身体操作のテーマを重ねるうちに思い至った理合の別表現であり、在り方であり、挑戦であります。


最初にいきなり身体操作。
・立っている相手を押す
・腕を捻じ上げられた状態から返す
・腕の関節を極められた状態から返す


入門時に床拭きの身体操作を習うのですが、その応用がこの立っている相手を押す身体操作です。
立っている方はなるべく押されない様に抵抗をします。押す方は筋力で押しにいっても本気で抵抗している相手を押し込む事はなかなか出来ません。これまでと同じ様にこの身体操作も意識が鍵であったりします。

それが出来たら次は「端の力を使う」ことを意識しながら同じく立っている相手を押します。
触れた状態で力が流れる以上は物理的には超電導の世界でもない限り必ず抵抗が生じます。剣術の世界ではよく「手の内」という言葉が使われたりしますが、この「手の内」というのは具体的に何なのでしょうか?そしてどう使うものなのでしょうか?
そう「端の力を使う」という今回のテーマは挑戦なのです…!

そして”腕を捻じ上げられた状態から返す”身体操作も”腕の関節を極められた状態から返す”身体操作も同じく「端の力を使う」事を意識しながら行ってみます。
それぞれの状態に於ける「」とは何処なのか?その「」にどの様な力をどう使うのか?
私の思い至った考えを弟弟子S氏に共有してみたところS氏も納得をしてくれた様で、今回の稽古を通しての挑戦の始まりです。


次に歩行稽古から。
・木剣を正中に構えて前進
・木剣を正中に構えて後退


鈍り気味の身体を解すかの様にしっかりと呼吸をしながら力むこと無く木剣を構え歩行をします。
無論「端の力を使う」という事で身体の「」を意識しながら歩きます。人間が木剣を構えて歩く時の「」とは何処なのか?そして力といっても筋力だけが力では無いのです。


それから素振りの稽古。
・素振り(右)
・素振り(左)


素振り稽古も「」を意識して行います。
木剣を振り上げ振り下ろす。この時に「」は何処にあるのか?そして「」があるという事は「端で無い」部分があるという事になりますが、「」と「端で無い」部分とでどの様な力をどう使うべきなのか?
なかなかに壮大な挑戦であります。


次は打ち合いの稽古
・打ち合い稽古(右)
・打ち合い稽古(左)


ここまで身体操作に始まって歩行と素振りとで「端の力を使う」という感覚を身体に馴染ませて見ました。
いよいよ打ち合いの稽古でその「端の力」と「端の力」をぶつけ合った時にどうなるかを観察する事となります。
結論から行くと「」と「端で無い」部分、そして力の流れ、諸々を統合していくと前々回のテーマである「○○の動き」と密接に関係があるのではないかとの結果に至りました。
愚かなる自分は「○○」と聞いて質量も密度も完全に均質なそれを連想していたのですが、その認識は間違っていたのかもしれません。そう言えば日本刀も「心金」と「刃金」の複合構造で完全に均質な構造体という訳でありませんでしたね。


そして大太刀の型の稽古及び小太刀の型。
・作法から始め大太刀の型13本及び終結の型(打太刀)
・小太刀の型4本(仕太刀)
・作法から始め大太刀の型13本及び終結の型(仕太刀)
・小太刀の型4本(打太刀)


今回も型稽古を多く稽古したいという事で限られた時間を為るべく型稽古に割り当てることにしました。そして型に「端の力を使う」を意識するとどうなるかという挑戦でもあります。

やって見ると前々回の「○○の動き」をテーマに稽古をした際に感じた相手を押し込んだり相手の木剣を弾いたりする攻防で感じた響きや重さの違いが、更に変化をした様に感じられます。

ただ普段からやっている事ではないので常に「端の力を使う」のは難しいですし、そちらに気を取られ過ぎると型の動作そのものが疎かになってしまいます。
とは言え挑戦としてはかなり興味深い結果を得られたのではないかと思いますし、これは次回の短期集中鍛錬の際には宗家や館長に確認してみたいと思います。

そして10本目の仕太刀を繰り返し稽古している際に気が付いたのですが、打太刀である弟弟子S氏の胴斬りが微妙に違っている感じがあります。いや実際には逆で、この10本目の打太刀の胴斬りが他の胴斬りと異なっているのですが普通の胴斬りになってしまっていました。

そこからこの胴斬りを延々と集中的に稽古をして判ったのですが、この胴斬りは他の胴斬りと腕の使い方がごく僅かながらも決定的に違っています。弟弟子S氏もそこを理解し使い方を変えていると思い込んでいたのですが実際にはそうなってはいませんでした。ある意味で構造体を変えるとも言えるこの腕の使い方を自分も経験的に理解して当然の様に思っていたのですが、確かにその前提を疑ったり言葉に変えてアウトプットした記憶はなく、改めてアウトプットする事は非常に大事であると感じたのでした。


今回の稽古を通じて同じ師の元で同じ様に稽古を受けても伝わる内容にはズレがあるという、ある意味で当然の事を感じさせられたんよねぇ。
古くは弟子入りの際に出来る限り宗家のそばに居る様に言われたらしいんじゃけど、そうやって長い時間を師のそばにある事で初めて伝わる内容や細かいけれども神が宿る様な大事な事があるんかもしれんねぇ。
わしらも宗家や館長とは遠くにあって長くそばに居られないだけに、限られた機会にしっかりと掴み取る覚悟で臨まんといけんねぇ・・・!

2018年10月27日土曜日

2018年10月14日 自主稽古

2018年10月14日(日)今月は広島稽古会の面々が揃って忙しくなってしまい定例稽古を止む無く休止としており、代わりに市内某スポーツセンターでの自主稽古に打ち込みます。

今週は稽古開始時に某スポーツセンター利用者が多くて利用できる範囲が限られており、ちょっと工夫をしながらの稽古となりました。


まずは歩行稽古から。
・木剣を正中に構えて前進
・木剣を正中に構えて後退


いつもなら端から端まで真っ直ぐ歩いて往復するのですが、今回は場所が無かったので木剣を構えて向かい合い、その場で円を書く様に歩行をしてみる事にします。
右回り、次は左周り、、、これ目が回って駄目じゃったわ(笑


次は素振りの稽古。
・素振り(右)
・素振り(左)

定例稽古が無かった分だけ鈍った感のある身体をほぐかの様に無心に木剣を振ります。
右手、左手、右半開、左半開、、、素振りをしているだけでも段々気持ちが盛り上がって来るのぅ!


そして身体操作。
・腕を捻じ上げられた状態から返す
・腕の関節を極められた状態から返す


身体操作は概ね出来る様になって来ましたので、これからは質を追求する段階に突入です。
まずは操作する速度をゆっくりにしても出来る様に一回ごとに操作の仕方やら方向やら相手の反応やら諸々を観察をしながら右に返して、左に返して、、、と試行錯誤を重ねます。


それから打ち合いの稽古
・打ち合い稽古(右)
・打ち合い稽古(左)


打ち合いの稽古も右に左に無心で木剣を斬り込み、木剣を受け流します。最初はゆっくりとした打ち合いをして一巡してから、次は普通の早さで打ち合い、途中から徐々に早くしていってみます。
右半開、左半開、右半開、左半開、、、半開と木剣がバラバラになってしまったり、ついつい手足が出てしまったらそこが限界という事で、それはまだまだ修行が足らぬのです(反省


いよいよ大太刀の型の稽古及び小太刀の型。
・作法から始め大太刀の型13本及び終結の型(打太刀)
・小太刀の型4本(仕太刀)
・作法から始め大太刀の型13本及び終結の型(仕太刀)
・小太刀の型4本(打太刀)


定例稽古が無かっただけに二人以上で無ければ稽古が出来ない型を多くやりたいという事で、今回は他の稽古の割合いを減らして型稽古を多めにしてみました。
型稽古の一瞬の攻防の中に身を置き、片時たりとも気を抜けない木剣が交わり離れする瞬間の瞬間の流れに集中する時、私は仕事や日常といった些事を離れ真に自由となるのです(迷言


さて、ここまで単なる稽古の備忘録ともいえる駄文に付き合って頂いた方はお気付きかと思いますが、今回は敢えて「テーマ無し」でやったんじゃけど、やっぱりテーマが無いと締まらんのう・・・
次からはやっぱり無い頭を捻ってでもテーマを考えて締まった稽古をせんといけんわ!



2018年10月20日土曜日

2018年10月07日 自主稽古

2018年10月07日(日)多忙すぎて暫く定例稽古に参加が出来きそうになく、今週も市内某スポーツセンターでの自主稽古だけは欠かす事無く出席です。

さて今回のテーマはここ最近の身体操作の総仕上げとでも言うべきか兵法タイ捨流の理合の中でも根底となる「○○の動き」です。

このところのテーマは全て共通して身体操作でありました。
何と申しますか、これまで稽古を重ねてきて例えば型を取ってみた時に動作や動きという点ではそれなりに形になっているのではないかと思います。ただ表面に現れる形と内面に宿る質というのは別のものであり、未だ未だであると感じざるを得ません。 型の動作の中でも相手の木剣を打ち落としたり弾き飛ばしたりという動きがありますが、宗家や館長のそれを受けると木剣を通じて感じる響きや重さが全く異なります。
つまり、一見すると同じ様な動作に見えて質的に異なるが故にその違いが生じている訳であります。

結局のところ形や動作も重要ではありますが、それ以上に流派の理合の求める身体操作をどこまで理想通りに行えるかを追求し鍛錬を重ねる事が本質であると思うのです。


まずは歩行稽古から。
・木剣を正中に構えて前進
・木剣を正中に構えて後退


いつもの様に木剣を構え呼吸と合わせながら歩行稽古です。
ただ「○○の動き」を意識して手足や身体がバラバラにならない様に歩行します。


そして素振りの稽古。
・素振り(右)
・素振り(左)


素振りも先週までの稽古のテーマを振り返りつつ、徐々に「○○の動き」を意識しながら行います。
また早く振ろうとする手足や身体がバラバラな動きになってしまいますので、まずはゆっくりでも確実に「○○の動き」となる様に焦らず取り組みます。


それから甲段からの袈裟斬り。
・右甲段からの袈裟斬り

甲段からの袈裟斬りも先週のテーマ「○が先」と密接に関係する「○○の動き」を両方とも意識しながら稽古です。
甲段からの袈裟切りは動作が大きくなるので手足や身体がバラバラな動きになる余地も大きくなります。ただ逆に見るとそれだけ質を高める余地がある訳でもあり、取り組み甲斐があるのです。


ここで身体操作。
・腕を捻じ上げられた状態から返す
・腕の関節を極められた状態から返す


ここのところ関節を極められた状態から返す身体操作に力を入れていましたが、今回は腕を捩じ上げられた状態から返す身体操作の方に注力です。
この身体操作のコツも実は「○○の動き」に密接に関係しており、手足や身体がバラバラな動きになる程に返すのが難しくなるのです。


次は打ち合いの稽古
・打ち合い稽古(右)
・打ち合い稽古(左)


打ち合いの稽古も大きな動作である上に相手に合わせて動きが大きく早くなり易いので、逆に自身の身体の「○○の動き」の質を高めるには持って来いであります。
稀に意図的に動きを大きく早くして、それでも手足や身体がバラバラにならず「○○の動き」が出来る様に自身や弟弟子を誘導しながら稽古を重ねます。

ところで打ち合いの稽古は攻め手は袈裟切りなので上から下への斬り下ろしとなり、重力も合わさって重い斬りを出し易くはありますが、「○○の動き」が出来ていれば逆の下から上への斬り上げでも重さを出す事が出来るのではないかと思い試してみます。

動きとしては受け手の動作なので受け流しではなく打ち返す形になり余りよろしくはないのですが、別物と割り切って考えるならば…、結果は上出来で斬り下ろしに負けない重い斬り上げを放つ事が出来る事が判りました。


いよいよ大太刀の型の稽古及び小太刀の型。
・作法から始め大太刀の型13本及び終結の型(打太刀)
・小太刀の型4本(仕太刀)
・作法から始め大太刀の型13本及び終結の型(仕太刀)
・小太刀の型4本(打太刀)


さてさて型稽古も勿論のこと「○○の動き」を意識して行います。
と言うよりも型の動きを覚えた段階からは程度の差はあれでも「○○の動き」を意識して型稽古を行うのが本来だったのかもしれません。

実際のところ型の中の同じ動作、同じ攻防であっても「○○の動き」を意識して行う事で木剣を通じて感じる響きや重さに手応えがあり、動作の意味が変わったかの如くに感じられます。
いやもうお決まりですが「古流は本当に奥深くて興味深くて面白いです!


稽古場所への道すがらに弟弟子とも話をしたんじゃけど、兵法タイ捨流を始めてから日常生活の中でも身体の使い方が変わったり、物事の見方や接し方が変わったり、自分自身への見方も変わったりして、単純に身体を動かしたり技を学んだりいうだけじゃのうて、遥かそれ以上のものを得られとるいうて思うんよね。そう思うたらわしらは本当に素晴らしい縁を頂いた幸せ者じゃわ!ありがたいのう!


2018年10月10日水曜日

2018年09月30日 自主稽古

2018年09月30日(日)神無月も目前ながら未だ多忙にて定例稽古にも参加が出来ず、市内某スポーツセンターでの自主稽古には意地で参加です。

今回のテーマは身体操作にも深く意味を為す「○○○」です。

この「○○○」という教えは兵法タイ捨流に入門して初めて教えて頂いた理合でありました。
果たして自分がその教えが意味するところを何処まで理解して何処まで体現出来ているのかは定かでは無いのですが、この教えにサァと眼前が開け道筋が示された様な印象を受けた事は間違いありません。
 ※諸般の事情により伏字とさせて頂きました。申し訳ありません。


まずは歩行稽古から。
・木剣を正中に構えて前進
・木剣を正中に構えて後退


いつもの歩行稽古です。木剣を正眼に構え呼吸を合わせながら前進後退します。
ただいつもとは違って木剣にも意識を巡らし「○○○」を念頭に行います。


そして素振りの稽古。
・素振り(右)
・素振り(左)


いつもの素振りの稽古です。
ただいつもとは違って木剣にも意識を巡らし「○○○」という意識で行います。
先週のテーマ「軽く使う」の時に「重い」「軽い」の意識の持ち方での生じる身体操作の差異を体験しましたが、今回もこの意識の持ち方で差異を感じられるかが重要なのです。


それから甲段からの袈裟斬り。
・右甲段からの袈裟斬り

いつもの甲段からの袈裟斬りの稽古です。ただいつもとは違って・・・(略
動作が大きく複雑になる分だけ身体操作の差異も大きくなり感じ易くなります。特に斬りの動作は能動的な意思や意図を伴う身体操作でありどうしても意思や意図が前面に出て来がちになりますが、意思や意図を強く持つ程に身体操作にも影響を及ぼしますので留意しながら稽古をしてみます。


ここで身体操作。
・腕を捻じ上げられた状態から返す
・腕の関節を極められた状態から返す


いつもの身体操作です。ここでは木剣は使わないのでいつもと違いませんよ(笑
いつもの様にどんな時にどんな状況からでも使える様に意識や身体の操作について気を配りながら反復練習です。
また身体操作が出来る様になったとしてもそこからが出発点であり、身体操作の速度をゆっくりにしても、よりキツく極められた状態からでも返せる様になるべく余念はないのです。


次は打ち合いの稽古
・打ち合い稽古(右)
・打ち合い稽古(左)


いつもの打ち合いの稽古も、いつもとは違って「○○○」という意識で行います。
打ち合いの稽古では実際に相手の木剣を打ちその手応えがあるので攻撃の意思や意図が出やすく、その意思や意図が出る程に身体に影響が及び無用な力みが生じがちになります。

まずはゆっくりとした打ち合いで、意識をしながら動作をする事で身体操作がどの様に変化をすべきか観察し適応し身体操作を組み立てて行きます。
ある程度、組み上がったところで通常の速さでの打ち合い稽古を行って、相手との斬りや受け流しの手応えも含めて身体操作の精度を確認します。

弟弟子も何かが見えて来た様で、身体操作や動きが変わったのが傍目から見ていても実際に打ち合いの相手をしていても感じられる様になって来ました。


いよいよ大太刀の型の稽古及び小太刀の型。
・作法から始め大太刀の型13本及び終結の型(打太刀)
・小太刀の型4本(仕太刀)
・作法から始め大太刀の型13本及び終結の型(仕太刀)
・小太刀の型4本(打太刀)


いつもの型稽古も「○○○」を意識して行います。
型稽古では剣での攻防が主眼なだけにこの「○○○」という意識と、そこから導かれる身体操作や動きへの影響度合いもより大きく変わってきます。

そして同じ型の動作、同じ仕太刀と打太刀の攻防であっても「○○○」意識をして貰い始めてから弟弟子の動きに明らかに違いが感じられ、一段階突き抜けた様な印象があります。

外から見ているだけでは判り難い、入門して実際に身体の操作や理合を学び稽古を積み重ねる事で初めて修められる奥深く驚異的な流祖や先人の智慧が古流の教えの中に込められているのだと気付くとともに、えぇ、いつもの様に「古流は本当に奥深くて興味深くて面白い!!」と思うのであります。


そういうて思うたら入門するまでに迷ったり諦めたりした時期もあったんじゃけど、それでも兵法タイ捨流にこうして入門して稽古が出来とるいうんのは本当に幸せじゃわ!ありがたいことじゃのう!


さて、既に兵法タイ捨流龍泉館の公式Facebookなどでご存知かもしれませんが、来春イタリアにて開催される Samurai Expo「侍う-SABURAU- in ITALY」に兵法タイ捨流も参加させて頂く事になりました。
海外は勿論、日本国内でも少しでも多くの人に知っている様で知らないかもしれない侍や剣術、それらに纏わる文化について興味を持ち知って頂ければと思っています。

 〇侍う
  http://saburau.net/index.html

このプロジェクトを彩る豪華参加陣です(敬称略で申し訳ありません)

〇国宝 青井阿蘇神社
 AoiAso Shrine
 http://www.aoisan.jp/

〇丸目家・兵法タイ捨流
 Marume Family & Hyoho Taisharyu
 http://www.happydrop.net/taisharyu/

〇ドリフターズ
 DRIFTERS
 http://www.nbcuni.co.jp/rondorobe/anime/drifters/

〇武装少女マキャヴェリズム
 ARMED GIRL'S MACHIAVELLISM
 http://shoten.kadokawa.co.jp/sp/2014/machiavellism/

〇MUJIN-無尽-
 https://www.facebook.com/YuichiOkadaya/

〇雪駄
 SETTA
 http://sanshin-art.com/

〇濵田喜幸
 Yoshiyuki Hamada
 http://slapstickphoto.com/ja/

〇内野敏子
 Toshiko Uchino
 http://kaminote.org/uchino

〇竹谷隆之
 Takayuki Takeya
 http://revoltechtakeya.com/

〇井上雄彦
 Takehiko Inoue
 https://www.itplanning.co.jp/


兵法タイ捨流 広島稽古会 拝

2018年10月8日月曜日

2018年09月24日 自主稽古

2018年09月24日(祝)今回も平日夜の定例稽古には参加が出来ず、代わりに市内某スポーツセンターでの自主稽古に臨みます。

今回のテーマは身体操作をもう少し掘り下げて「軽く使う」です。

剣術でも「重い刀を軽く使う。軽い刀を重く使う。」とは言いますが、井の中の蛙にならぬ為にも他の武術や格闘技についても見聞させて頂く様にしています。そんな中で教えて頂いた事で、視点は異なれど兵法タイ捨流にも同じ教えはあるのですが視点を変えて行う事でより理解が深まる面もあろうという事で稽古でも試させて頂きました。


まずは身体操作から。
・一方がもう一方を重いものと意識して持ち上げる
・一方がもう一方を軽いものと意識して持ち上げる


今回はいきなり身体操作からです。
まずは単に脱力して立っているだけの相手をもう一方が単に意識を変えて持ち上げて見るだけの稽古です。意識ひとつで何も変わる訳が無いだろうと思われるかもしれませんが、これが違うのです。

例えば60Kgある米俵を持ち上げる場面と一片の羽毛を持ち上げる場面とを想像してみて下さい。全く変わる事なく同じ様に身体を使われますでしょうか?

重いと思うとそういう身体の操作になります。例えば踏ん張ってみたり強張らせてみたり。逆に軽いと思うと身体もそれに沿った操作になります。この場合はむしろ身体は緩み、あちこちを力ませる方はあまり無いと思います。

実は入門時に習った身体操作の中には同じ理合の操作も含まれているのですが、少しばかり視点が異なる面もあり敢えて今回の身体操作を最初に行って稽古時の視点と意識も変えて行ってみました。


次に歩行稽古から。
・木剣を正中に構えて前進
・木剣を正中に構えて後退


いつもの歩行稽古もいつもとは違って、敢えて木剣も自身の身体も羽毛の様に軽いものとして意識して行ってみます。無論、呼吸もとても大事です。息が詰まると身体も重く感じられます。しっかりと呼吸が出来ていれば身体も軽く感じられます。
微妙かもしれませんが違いを感じられる様に自身を観察しながら歩行を続けます。


そして素振りの稽古。
・素振り(右)
・素振り(左)


素振りも木剣や自身の身体の重さや軽さを意識しながら行います。
木剣を振り上げ、振り下ろす。もしこの木剣が10Kgも20Kgもの重量であったなら?逆にこの木剣が羽毛の様に軽く漂う程の重さしかないものであったら?
手足に頼らず飛ばず跳ねずの理合と合わさった時に身体はどの部位をどの様に使うことになるのか?実際の木剣の重さの感じ方に違いはあるのか?

日常に無い意識と身体の使い方で稽古で感じられ見えてくるものを、観察し噛み砕き消化し血肉と為すのです。


それから甲段からの袈裟斬り。
・右甲段からの袈裟斬り

甲段からの袈裟斬りの於いても羽毛の様な軽さ木剣を意識して稽古を行ってみます。
そして比較の為に振り下ろして斬りに勢いが乗ったタイミングで重い木剣に意識に切り換えてみます。素振りよりも大きな動きをする事で、違いも大きく見えやすくなって来ます。


ここで身体操作。
・腕を捻じ上げられた状態から返す
・腕の関節を極められた状態から返す



この身体操作もほぼ出来る様になって来たとは言え、どんな時にどんな状況からでも使える様にするにはやはり鍛錬あるのみです。
そして実はこの身体操作でも意識が重要であったりします。どの様な意識でやると上手く行き、逆にどの様な意識でやると上手く行かないのか?
反復と観察の中でその精度を高めて行くのです。


次は打ち合いの稽古
・打ち合い稽古(右)
・打ち合い稽古(左)


打ち合いの稽古も木剣が羽毛の様に軽く漂う程の重さしかないという意識で行ってみます。

定番となったゆっくりとした打ち合いでは、よりじっくりと身体の中の出来事を観察する事が出来ます。そこで観察し適応し判断し行動する事を繰り返す事で掴めるものがありそうです。

そして通常の速さで打ち合いでの稽古を行います。
ここまでの素振りやゆっくりした打ち合いでは自身をじっくりと観察する事は出来るのですが、意識は内に向き篭り勝ちになってしまいます。

しかし戦いの場では相手があり意識は自分だけではなく、相手を含む外にも向かなくてはなりません。
通常の速さでの打ち合いをする事で相手と自分との関係と動きの中で内も外も観察し適応し判断し行動し、身体操作を鍛え練り上げて行きます。


いよいよ大太刀の型の稽古及び小太刀の型。
・作法から始め大太刀の型13本及び終結の型(打太刀)
・小太刀の型4本(仕太刀)
・作法から始め大太刀の型13本及び終結の型(仕太刀)
・小太刀の型4本(打太刀)


型稽古も木剣を羽毛の如く軽い意識で行ってみます。
そして型稽古では打ち合い稽古以上に意識は己だけではなく相手にも向かなくてはなりません。

同じ型の動作、同じ仕太刀と打太刀の攻防であっても、意識やその向かう方向次第で変化があります。自身の動作や身体操作だけではなく、その結果として相手の木剣や身体やその操作にどの様な影響を与えたのか?身体操作や結果に質的な変化はあったのか?

ただ漫然と繰り返すだけの型稽古ではなくもう一歩先の型稽古を目指し、今日も今日とて稽古に励むのでありました。


何十回、何百回と打ち合ってとしても全く同じいう事はないんよねぇ。
意識して日々の稽古を反復し、それを観察して適応して判断して行動する輪を循環させようったらより理合に適合した身体操作や心身が鍛え練り上げられて行って、やがて己の質の変化を知る。
そういうのも稽古の楽しみや喜びじゃし、古流の面白みや味わいなんじゃいうて改めて思うんよ。


2018年10月6日土曜日

2018年09月16日 自主稽古

2018年09月16日(日)7月頃から多忙を極め残業続きで平日夜の定例稽古に全く参加が出来ず・・・、埋め合わせるかの如く市内某スポーツセンターにて自主稽古に励みます。

今回のテーマは前々回とその前の短期集中鍛錬の際にも必要性を感じながらもあまり本腰とは言えない状況であったけれども、前回の短期集中鍛錬後からは結構まじめに取り組んでいる「身体操作」です。
結果的にここから身体操作を主眼にした稽古が続いて行くのですが、その成果は後の記事のお楽しみという事で(笑


まずは歩行稽古から。
・木剣を正中に構えて前進
・木剣を正中に構えて後退


お馴染みの歩行稽古です。
しっかりと踵で床面を感じながら呼吸も忘れる事無く、いつもの様に身体も心も稽古に切り替わって行きます。


次に素振りの稽古。
・素振り(右)
・素振り(左)


短期集中鍛錬からこちら、素振りもお座なりにならない様に工夫をして行う様に心掛けています。
木剣を振り上げ、振り下ろすと言う動作。
恐らく普通に生活しているだけであれば手で持ち上げ、手で斬り下ろす動作になるのではないかと思います。そう言う自分も兵法タイ捨流に入門する前はそうでありました。
しかし門外の方には伝わらないかもしれませんが、この木剣を振り上げ斬り下ろす身体操作は”手”、特に腕力では行なわれないのです。かと言ってこの手の腕力に頼らないで木剣を振り上げ斬り下ろす古流の身体操作を知り、普段から生活の中で行っている方は我々を含め余りおられないのでは無いでしょうか・・・。
それ故にこうして稽古に励み、門外の頃には己の辞書に無かった身体操作を鍛え練り上げて行くのであります。


それから甲段からの袈裟斬り。
・右甲段からの袈裟斬り

稽古とは突き詰めれば「身体操作を練り上げる」という一点に尽きるのかもしれません。
兵法タイ捨流に独特なこの甲段からの袈裟斬りもその理合から生ずる身体操作の発露であり、己の身体をその理合の求むる理想の身体操作に一歩でも近付くべく鍛え練り上げる鍛錬なのであります。


そしてここで今回のテーマでもある「身体操作」です。
・腕を捻じ上げられた状態から返す
・腕の関節を極められた状態から返す


前回の短期集中鍛錬と厳島神社での演武を経て、特に重要性を感じている「身体操作」の稽古ですが、ここにきて遂に弟弟子達も理合への理解度はともかく身体の操作という意味ではほぼ形になって来ました!

と、弟弟子から突拍子もない発言が飛び出します。
そこまで兄弟子の言われる通りなら両手を極まられていても出来る筈ですよね?
もはや言い逃れを出来る様な雰囲気ではありません。
おし!やったらぁ!
かくして両腕を弟弟子達に極められ、その間に哀れに立ち尽くす自分の姿が…。

えぇい!なる様にしかならねえっ!
まずは腕力を発揮して返そうと試みるものの腕力に頼った瞬間に気取られ、両腕ともがっちり掴み返されて逃れられそうな雰囲気は微塵も感じられません。

心を沈め、あるべき身体の操作を行う・・・、心を沈め、あるべき身体の操作を行う・・・、心を沈め、あるべき身体の操作を行う・・・

心の中のざわめきが静まり意識がふと軽くなったその時、まるで幽玄の山野で独り素振りをして刀を振り下ろすが如く身体を操作します。

・・・自身でも驚き拍子抜けする程にあっさりと、弟弟子達が積み重なる様に崩れ落ちて行く光景が見えます。まるで過去に何度も繰り返し見た柔の達人が複数人に掴まれた状態から彼らを崩していく動画の様に。

達人とは掴み掛かる人数もいますし達人の流派の身体操作もその理合についても自分にはさっぱり判りませんが、ひょっとすると共通するものはあるのかもしれません。
とはいえ弟弟子達も「いやぁ、これは誰も信じないでしょう(笑」と言いながらも目を輝かせているのでありました。

そして稽古をしながらこの身体操作、特に興りを消す身体操作についてその効果は判りやすい攻撃だけではなく、守りの面に於いても非常に重要な意味合いを持つことに気付いて来ました・・・!
えぇ、いつものフレーズですよ。「古流の理合って本当に奥深くて興味深くて面白いです!


お次は打ち合いの稽古
・打ち合い稽古(右)
・打ち合い稽古(左)


打ち合いの稽古は前回から定番としたゆっくりとした打ち合いと通常の打ち合いでの稽古を行います。
まずはゆっくりした打ち合いで斬り手も受け手も腕力に頼らない身体操作での打ち合いを行って己の身体操作の状況を観察し適合し決断し行動し、己の身体操作の精度を鍛え練り上げます。
そして通常の速度での打ち合いを行い、速度が速くなってもゆっくりの打ち合いで練り上げた身体操作の精度が落ちない様に稽古します。
やるほどにこれは続け分だけ違いが出てくるのでは無いかという期待が一層高まります。


いよいよ大太刀の型の稽古及び小太刀の型。
・作法から始め大太刀の型13本及び終結の型(打太刀)
・小太刀の型4本(仕太刀)
・作法から始め大太刀の型13本及び終結の型(仕太刀)
・小太刀の型4本(打太刀)


いよいよ型稽古です。
漫然と型の動作を行うのではなく、身体操作ありきで型の動作を行うとどの様になるのかを観察し適合し決断し行動しながら行います。
先にも少し触れましたが型稽古をしていくなかで、興りを消す身体操作が攻撃は勿論ながら守りの局面に於いてもその理合を応用できるのではないかと気付き始めました。

これまでは守りの体勢を取る為にその動きの前には手の位置、足の位置、姿勢や体勢など守るべきタイミングとその形を取れる様に準備しながら行っている一面があったのですが、興りを消す身体操作の理合を応用するならばどの様な手足の状態や姿勢や体勢からであっても何の障害もなく一瞬で守り体勢に移れる様に感じられるのです。逆に言うならばどの様な体勢や手足の状態からでも即座に攻めも守りも行える様な自由さがあるのです。
いやぁ、古流の理合って本当に奥深くて興味深くて面白いです!


今年は7月頃から過去に無いくらい忙しゅうてから、それはそれだけ重く苦しい局面が連続しとるという事でもあったんじゃったんじゃけど、兵法に於ける局面じゃ思うて捉えなおしてみたら、勝ちは見えんでも少なくともこうしたら凌げるじゃないか言うて気付けて実際に乗り切る事が出来た場面も何回かあったんよね。

剣術をただ棒を振っとるだけの時代遅れのもんじゃ言うて見る事も出来るんじゃけど、そこに秘められとる想定や理念や理合を観察し適合し決断し行動し応用することが出来たら、違う意味のものにも成る言うて気付くことが出来た切欠でもあったんよね。そう思うたらありがたいことじゃったんかもしれんねぇ・・・!