2040年3月21日水曜日

はじめに

 兵法タイ捨流”(ひょうほう たいしゃりゅう)とは戦国時代から江戸時代初期の乱世の世を生き抜いた剣豪”丸目蔵人”(まるめ くらんど)が興した剣術の流派です。

 ”丸目蔵人”は”新陰流”(しんかげりゅう)を興した”上泉伊勢守信綱”(かみいずみ いせのかみ のぶつな)に師事し、”上泉伊勢守信綱”が室町幕府の剣豪将軍とも呼ばれた足利義輝の前で兵法を上覧したときには打太刀を務めました。その後、”新陰流”から独自の工夫により”兵法タイ捨流”を興し、九州一帯を中心に広まった”兵法タイ捨流”の門人には"立花宗茂”や”鍋島直茂”といった戦国武将の名もありました。

また「武士道と云ふは死ぬ事と見付けたり」の一節で有名な葉隠聞書の”山本常朝”も兵法タイ捨流の門人であったと伝えられております。

 兵法タイ捨流の「タイ」という言葉には「大・体・待・対・太」など複数の意味合いが含まれており、「」は”丸目蔵人”の師である”上泉伊勢守信綱”の死後「偉大な師を失った」という意味を示す。そのほか「」とすれば体を捨てるにとどまり、「」とすれば待つを捨てるにとどまり、「」とすれば対峙を捨てるにとどまり、「」とすれば自性に至る。更にこれらの言葉にとらわれない自在の兵法という意味もあるとされています。


 当”兵法タイ捨流 広島稽古会”は熊本県八代市の”兵法タイ捨流 龍泉館”の門人のうち広島在住の門下生による自主稽古の会で目下のところ毎週日曜日を中心に稽古を行っています。